代表取締役佐々木 武
どのお家も、
自分の家のように大切に施工しています。
どれも私の宝物です。
私たちササキ建築は、大手建設会社様や住宅メーカー様と違って、たくさんの宣伝広告はしていませんし、皆さんの印象に残るような楽しいCM放送もしていません。けれど、宣伝広告をしないのにも理由があります。
私たちに相談しに来てくださり、素敵な家が建てたいとお考えのお客様の為に、その費用を使っていきたいと考えているからです。
お客様の家づくりの選択肢としてササキ建築を入れてもらえたらそれほど嬉しいことはありません。このような理由から、ここで想いを発信していく決意をしたのです。
私は愛知県豊田市の稲武町という所に生まれました。そこは木に囲まれたまさに「大自然」の中にあり、その中で父と兄は大工の仕事をしていました。私は小さな頃から自然と木に触れ、父の後ろについて“大工さん”の仕事を見て育ちました。
このような環境で育った私はやはりその仕事に憧れを抱き、小学校に上がった頃には(自分の家は自分で建てるんだ!!)と大工になる決意をしていました。
実際私の実家は同じ地域で育った木を使用している昔ながらの木の家。大工の作ったその頑丈な家は60年経ってもまだまだびくともしません。幼心にも大工の建てる家=頑丈であるというイメージがしっかりとついていました。
そんな私も高校生になり、生まれ育った稲武で大工のアルバイトもしたこともあり、
初めてした“憧れの大工”の仕事は
「思ったより大変」
大工の仕事はそこで生活する人の命を握ることになる重大な仕事。この仕事は、とても、とても責任の重いものであることを知り、憧れとか、軽い気持ちでは本物の大工にはなれないということが身をもってわかったのでした。
高校を卒業した私はカバン一つで稲武町を離れ、刈谷に住み込みで修行をしにいく決意をしました。
刈谷での修行生活は決して楽なものではありませんでした。しかし、ホンモノの大工になりたいという目標があったから。頑丈で、何十年ももつような家づくりをしたかったから。辛いと感じたことは一度もありませんでした。一番下からのスタートだったので先輩大工によく怒鳴られたりもしました。しかし、プライベートでは皆優しく、皆で食べるご飯はとてもおいしかったのを覚えています。
ここで約15年の修行期間を経て、完成してしまったら見ることのできない基礎部分、柱の一本一本の重要性、安心していただける家づくりをしっかりと学び、晴れて1人前の大工として独立するに至りました。
独立してからは、幼き頃夢見た男らしい大工の姿と、刈谷の修行時代で学んだ実際の大工の技術を照らし合わせ、お客様の家を、まさに自分の家を建てるような思いで建てることに専念してきました。
何十棟も、と、棟数にこだわるのではなく、1棟1棟を大切に自分の目の届く範囲で質にこだわる、そんな家づくりは地域密着の工務店だからこそ出来ること。
自信をもって家づくりを行える仲間と共に、1人1人が責任をもってそれはそれは大切に大切に家づくりを行ってきました。
35年以上に渡り、この地域に密着して仕事を行い、この地域の土地や気候などをしっかり考えた上で家づくりをしてきました。新しくていいものを取り入れながらも、その部分はこれからもずっと変わらず続けていきます。迅速な対応、手厚いアフターフォローが、地元で働く以上一番大切なことであるとわかっているからです。
お客様にはずーっと安心して頂けるような親しい近所付き合いのような関係でいたいと考えているのです。
その外観の見た目がかわろうとも、私たちが建てているのは、れっきとした「完全自由設計」の注文住宅。お客様のご希望にできる限りお応えし、形にしていきます。お客様がいてくださるから、私たちの大好きな「木の家づくり」ができるのですから。
お客様の夢をかなえるにはどうすればいいか、制約のある中でそれを考える能力は、ある意味人一倍鍛えられているかもしれません。一生に一度の家づくりです。遠慮なくご希望をぶつけてください。どんなことでも構いません。
私は私自身の技術を、知識を、お客様に全て提供します。
お客様の想いを忠実に反映し、家族の笑顔が絶えないような
丈夫で快適な家づくりを目指してまいります。
名前 | 佐々木 武 |
---|---|
生年月日 | 昭和33年2月20日 |
血液型 | O型 |
癒し | 家に帰ると愛犬ディア(チワワ)とのたわむれの時間 |
好きな場所 | 田舎かな。紅葉で有名な足助町から30分ほど |
趣味 | 山へのドライブ |
娘さんから見た社長 |
ゴルフ 山と緑と澄んだ空気がストレス解消! 時々くだらないギャグを言います。 仕事には本当に厳しいけど家では やさしく頼もしい100点パパ♡ |